ガケ書房の山下と申します。
お待たせしました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・か?
狂都人ご紹介です。ついに出ました。ミスター
左京区。
森島映(よう)さんです。
森島さんは愛媛県出身ですが、すでに在
左京歴の方が上回っており、
その
生活スタイルはある種、京都市左京区の一翼を担っています。
AUXという運命共同体的なバンドで活動しており、今秋にはニューアルバム
も発売予定です。昨年は、
くるりの大プッシュで森島さんの率いていた伝説の
バンド:
バッドスタッフのアルバムもくるりのレーベルから再発されました。
先日、モヒカンから頭を丸められた森島さんに
例の3つの質問をぶつけてみました。
①あなたの現在の主たる収入源は何ですか?
森島(以下森)「以前は、
いしがき弁当という玄米菜食の手作り弁当屋を
自分でしてたんですけど、当時3歳目前の娘が”
仕事に行くな”
というので、一切やめました。現在は、LIVEのチャージバックと、
音源を販売したお金、去年のメジャー再発の印税、過去に作成
した効果音の著作権使用料などで暮しています。正直、弁当屋
をやめた時は家族4人生きていけるか心配やったけど、なんとか
生きてる」
山下(以下山)「森島さんは、子どもは
神様だとよくいわれますね」
森「僕は自分で{
我が子教}といってるんやけど、子供のいうことは全部きく。
あれが欲しいといえば、できる範囲で買うようにしてる。将来的に子供の
ためによくないっていうけど、例えば、明日、子供が死ぬってなったら
子供のいうこと全部きくでしょ。僕は毎日その心境で接してます。ワンネス
というか、"
今しかない"と言う考え方。一期一会。子供と接するというのは
親である自分のエゴとの戦いだと思ってます。もちろんその反動で、荒れる
こともあるけど(笑)」
「僕らは電気の原始人」 BAD STUFF
②どんな中学2年生でしたか?
森「当時、洋楽にハマッててんけど、クイーンとかツェッペリンとかの話ができる
友達はクラスにほとんどいてなかった。それで学年単位で探したら、なんとか
4人だけ会話を
共有できるやつをみつけた。ほんで楽器も何も持ってないのに
メチャメチャ話だけ盛り上がって、バンドやろうということになった」
山「そこから楽器をいじりはじめたわけですか」
森「いや全然! もう楽器以前の問題。ホウキ持ってポーズ決めたりとか
"新曲出来た"いうて詞を書いてくるやつがいたりとか(笑)」
山「かなりの
妄想BANDですね(笑)」
森「名前がスゴイ恥ずかしい。・・・"LEGEND"。
一応、ツェッペリンのスペルも絡めたつもり。」
山「パ・・パートは?」
森「一人、フレディマーキュリー狂いのヤツがいててそいつがボーカルやる
って宣言して、それで もう一人ギター気狂いみたいなのもすでにおって、
・・・いや実は俺は元々、ドラムがやりたくて。
ロックはドラムやと思てたから。
親父が
クラシックの声楽家やったからその反発もあったんかもしれんけど
・・・。それで、ドラムって言おうとしたら、もう一人の野球部でキャッチャーの
ヤツが”俺がドラムをやる”の一言でみんながすごく納得してしまった。(笑)。」
山「てことは、残りは」
森「ベース。でもそのときベースやっといてよかった。当時、レゲエとかニュー
ウェイブとかが流行りはじめた頃で、ベース音の重要な音楽がキテたから
ベースの重要度がすごく理解できた」
山「えっ、楽器は?」
森「もちろんない(笑)。でもパートは決めた(笑)。音を実際に出すのは中三
になってから」
山「ではクラスではどんな存在でしたか?」
森「一言でいうと、目立ちたがり屋やね。学級委員長やってしまうような。
先生からは愛されていたかもしれない。でも中2ぐらいから成績も性格
も変わってきた。中2の時に生徒会の副会長に
立候補したことがあって。
登校時に正門前で誰にも言われてないのに「
必勝」のハチマキして皆に
握手したりしたりしてね。で、落選。だんだん影が広がってきた。」
山「影・・・・」
森「それともうひとつ大きな出来事が中2にあった。当時、学校で
告白ブーム
みたいなことが流行っていて。みんな好きな子に告白して、そして、玉砕
する。みたいな流れがあった。それでとうとうオレの番がきて・・」
山「どんな子でしたか?」
森「小学校の頃から知っていた子でオレはずっと前からその子のことが好き
やってん。周りも皆、知ってて。で、1学期の終業式の日に、オレ、皆のいる
前でいきなり彼女の両肩を持って"
俺はお前のことが好きなんやー!!"て
絶叫してしまってん。ほんでそのまま終業式後の教室に駆け込んで机に
突っ伏して3時間くらいずーっと
泣いてた」
山「その後、その子とはそれっきりですか? 他の子を好きになったりは?」
森「高校までその子しか好きにならへんかったね。で、高校も彼女が行く高校
を選んだ。その後、高校のマラソン大会でたまたま話す機会があってオレ
もヘトヘトやったからいい感じに余裕なくて普通に話せた。それで彼女への
思いは決着がついた」
「カセットマスター」AUX
③今までで一番の武勇伝を教えてください。
森「やっぱり自宅での
無介助プライベート出産やね」
山「まったく医者の介入なしでお子さんを産んだんですよね」
森「うん。上の子の時は普通に医者で産んで帝王切開してんけど、
実はお腹を切る必要がなかったことに気づいて。臨月の段階で
お腹を切ることを迫られて、その時の
トラウマで長女は何年間か
夜になるとずっと泣いてた。それから自分で出産のことを勉強して。
本来、命が生まれる過程で医者は介入しなくてもいいんじゃないかと思って。
SEXも医者の介入はいらんし、犬や猫もお産は自分たちでするし。
それで下の子が出来た時に
自分たちだけで産もうと決めた」
山「不安はなかったですか?」
森「色んな人に心配されたよ。でもなるべくそういう情報と気分は耳に
入れないようにしてた。不安ももちろんあったからこそ。
時期は真冬だったし、上の子も小さかったし。もし産まれたときに
長女が起きて泣き出したら抱っこするのは自分しかいなかったしね」
山「当日はどんなでしたか?」
森「いやもうそら、ずっと腰をさすって。"手が冷たい!"って言われたり(笑)。
かと思えば、"さすって"って言われたり。そんなことを繰り返して、さすが
に夜中の3時くらいになった時には(
自分が甘かったかもしれん・・・・)
と思ったりもした。で、朝方になって、卵膜とともに、赤ちゃんが
ドボッて
産まれた。そのときに上の子もタイミングよく起きて、嫁はんは、胎脂に
包まれた赤ちゃんをずっとさすって、その胎脂を身体にぬりこめた。
そしたら、ホンマにきれいに赤ちゃんの身体がサラサラになった。
血が一滴も出ない出産やったよ。
その間、臍の緒はずっとくっついたままにしておいてた。
胎盤がでるまで切るのは待とうと思って・・・血流のドクドクが消えてから切った」
山「産湯などはなかったんですか?」
森「そうやね。いろんな考え方があるけれど、胎脂を産湯で洗わずにローション
みたいにぬり込むほうが自然なんではないかと言う事で。実際それで何の問題
もなかったよ。」
山「出てきた胎盤を食べられたそうですね」
森「結構、量があって(笑)。焼いて食べたり。大根と一緒に煮込んで食べたりした。
海の味がしたよ」
森島さんは、哲学者です。実はもうひとつここに載せたい武勇伝があったのですが、
それはAUXのLIVEで森島さんが説法として話しているのでぜひLIVEで聞いてみてくださいな。
AUXサイト http://www.hunabkurecord.com/aux/