ガケ書房の山下と申します。
このインタビュー企画タイトルのおやじギャグに気づいてくださった
方は何人いらしたのでしょうか。あー、サムい。ヘボい。
第2回目の狂都人は、F企画の
桐田史恵さんです。
桐田さんは、鴨川で自分の本を売ったり、猥談古典講座を
開いたり、穴あき絵本を作ったり、エッセイ集を発行したりの
才気溢れる方です。一人息子の
唯一(イチ)くん11歳も、
もぐら狂の将来有望少年です。フリーペーパー「f 通信」
をどこかでみかけたらチェックしてみてください。
質問は、例の3つです。
①あなたの現在の主たる収入源は何ですか?
桐田(以下桐)「医療事務の受付をやっています」
山下(以下山)「その仕事はどれくらいされてますか?」
桐「もう6年やっています。そこでは2番目に古株です」
山「気に入っているお仕事なんですか?」
桐「私は本名は、佐藤史恵というんですけど。
佐藤史恵は、桐田史恵のお金のために生きてるんです」
山「なんと」
桐「事務的に事務をしています。
・・・・あとは、児童扶養手当が佐藤の収入の全てです」
虫食い詩集「まちとがいとう」桐田史恵
②どんな中学2年生でしたか?
桐「友達がいなくて、休み時間に本を読んでいました。
しかし学校の外では、年上の人とよく遊んでいました。
私服で校門に迎えにきてもらいにきてもらって、それを
ステータスと思っていました(笑)」
山「学校内では、友達は誰も?」
桐「どちらかというと男の友達が多かったです。よその
クラスから男子の友達が遊びに来たり・・・・・私、
カワイかったからモテたんです」
山(自嘲することなく、彼女は笑顔で言いきった・・・)
桐「女子には嫌われてたと思います。ブリっ子でした。
責められるとすぐ泣くし、男の子の前では態度が
違ってましたし」
山「いじめられたりとかしなかったですか?」
桐「中1の時に集団で一人をいじめるのが横行していて
それが私に回ってきたときがありました。でもそのとき
なぜか拒否の意思表示ができたんです。いつもは
すぐ泣いていたのに・・。それ以来、いじめられなくなりました」
山「モテ街道まっしぐらだったわけですね」
桐「当時私は、演劇部に入ってたんですけど何かを
表現したくて色々やってるのにその行動ではなくて、
恋愛対象とか性対象に見られてるんじゃないかって
いうジレンマがありました」
山「具体的にいうと?」
桐「すごく趣味が合うと思っていた男子がいたのですが、ある日
その子から告白されてしまってそれに応じられなかったんです。
そしたら、その子はその趣味ごと、さっぱり放棄してしまって・・・」
山「学校の外ではどんなことがありましたか?」
桐「当時は右京区に住んでたんですけど、一人で大阪に映画を
見に行ったりしてそれに満足したり、あと・・・左京区の人に
憧れてました。哲学の道沿いに住もうと思ってました」
山「左京区には何かありましたか?」
桐「哲学の道を歩いていたら、窓にこしかけてビンの飲み物を
飲んでいた女の人がいて。その姿というかその人に憧れた
のが大きいです」
「鴨川Soul(三)~2006年あたり全仕事~」より桐田史恵
③今までで一番の武勇伝を教えてください。
桐「私は10年前、DV被害者だったんです。当時、同居していた
人が歯止めがきかなくなってきて・・・」
山「何か特定できる原因みたいなものはあったんですか?」
桐「当時、何度も考えたんですけど、今でもわからないんです。
それである日、急に思い立ったんです。1歳の息子を連れて出て行くことを。
それこそ、中学1年の時のいじめを拒否したときみたいになぜか突然出来た」
山「飛び出してどこに行かれたんですか?」
桐「実家や友達の家に行ったら、すぐに彼に連れ戻されてしまうとわかっていた
ので、正直、行くあてはありませんでした」
山「赤ちゃんもいるし、どうしたんですか?」
桐「偶然会ったおじさんの家に泊めてもらったんです。事情を説明して」
山「桐田さんも桐田さんなら、おじさんもおじさんですね」
桐「そのまま1週間ぐらいいたんですけど。やっぱり実家の方が
心配して、実家に帰りました」
山「そのおじさんとは今でもおつきあいがあるんですか?」
桐「亡くなられました・・。そのおじさんにいま私がやってる
古典なども教えていただいたんです」
山「まさに偶然は必然ですね」
女の人が自分がモテてたということを世間に公言することが
実は一番タブーなのかもしれない・・・。誤解なんてクソくらえ。
「鴨川Soul(三)~2006年あたり全仕事~」より桐田史恵